東京タラレバ娘からのGO
- 作者: 東村アキコ
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2014/09/26
- メディア: Kindle版
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人に勧められて東京タラレバ娘を読み始めたが、2巻まで読んで下記のようなツイートを吐き出してしまった。
薦められた東京タラレバ娘を読んだら、臓腑をぎゅーって鷲掴みにされてそのまま背負い投げされた後みたいになってる。体調悪い。
— 魚に感謝 (@misyobun) 2015, 8月 24
はじめに断っておくと、僕がツイートにあるようなワンダーな感覚に陥ったのは漫画で語られる女性目線での焦燥と緩やかな絶望から成る格子に囚われたからではなく、漫画が訴求しているテーマの骨子が示す「パターン」が自分の生き方に対する後ろめたさを浮き彫りにしたことによる。
そのパターンとは、すなわち「漫然と自分の手の届く範囲にのみ留まり、人生において何も勝負をしなければやがて人は落ちてしまう」だ。
作中では、現状に甘んじてタラレバばかりを繰り返し、何もしてこなかったアラサー女子たちがいよいよ自分のポジションに危機感を感じてもがき苦しむ様をコミカルに描いているが、その描写は辛くて痛い。
例えば年下のモデルの男に生き方や仕事を完全否定されながらも枕営業(?)したり、昔の彼氏のバンドマンのセフレになったり、その先に凡そ意味なんてないのに成り行きのまま不倫をしてしまったり、一様にタラレバ娘たちは状況に流されてしまっている。
いや、落ちている。 なにもしてこなければ人は落ちるしかない。
「もっと時間があればー」
「給料があがったらー」
「チャンスさえあればー」
とタラレバばかりで。今の僕はまさに落ちている最中なのではないか?
坂口安吾を気取って堕ちているのではないか?(それこそ痛い)
というわけで GOを観て円の外、目指してこ!ぶち破って、羽ばたいてこ!