わさび巻きを食べた
バラエティ番組の罰ゲームでたまに見かけたわさび巻き。
当時は勝手に「小道具」的位置付けのものと捉えていたけれど、まさか平成も終わるこの時期に普通に注文ができるとは思わなかった。
「どうやら・・・あそこなら・・・わさび巻きが食べれるらしいよ・・・」とイリーガルな雰囲気の語り口で教えてもらった飲み屋にたまたま行く機会があったので「ならばいっちょ、例のわさび巻きを試してみようか」と席につくと間髪を入れず、満面の笑顔でおしぼりを渡してくれた店員に「とりあえず生ビールと・・・あと・・・わさび巻き1つ」と注文した。
すると店員の顔は瞬時に強張り「あ・・・アレですね」とさっきまでの笑顔が嘘のように深い憐憫の色を湛える。
しばらくして店員が、感情を一切廃した能面のような表情で静かに生ビールのジョッキと皿を僕の目の前に置いた。 皿の上では薄緑色のわさびを中心に添えた巻き物の群が鈍い波動を放っている。
「・・・アレです」
店員の声は明らかに緊張しているし、心なしか背後の厨房からいくつかの視線がこちらに注がれているような気がした。
恐怖と興味の奇妙な混淆に自分の身を震わせる。これは武者震いなのか・・・。
店員がその場を去ったのを合図に僕は流れるように、そのまま1つを口に放り込んだ。
強烈な清涼感がフッと口内に湧きあがる。
「ほうほう」とこれから何が起きるのかを期待しながら咀嚼をはじめたその瞬間、その清涼感は尋常では無い刺激の奔流へと変貌し、口内から鼻先、喉元へと駆け抜けていく。
途端に身体は硬直し、次々と押し寄せる怒涛の刺激の波に巻き込まれる。
わさびという「大海」の藻屑になるのではないかと、普段は古びたセロハンテープの切れ端みたいな薄っぺらい顔をしている僕も、これにはたまらず「人間味」のある複雑な苦悶の表情を浮かべてしまった。
「っ!!!」となんとか声を搾り出すともう頭の中は真っ白だ。
当然、ここまでくると目元は涙を帯びている。
あらかた咀嚼が終わり怒涛の刺激の波も終焉を迎え、何とか身体の硬直も解ける程度になるとビールで口の中を落ち着かせ一息ついた。
すると訪れる身体の浄化感。
細胞一つ一つが丁寧に揉み洗いされたような爽快さに、身体がすっと軽くなった。
今の自分なら何でもできるのではないかという多幸感・・・
「こ、これが、わさび巻きか・・・」
気付いた時には、僕は次のわさび巻きに手を伸ばしていた。